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子ども会の「凧上げ竹馬大会」で育まれたアイデンティティ

INDEX

  1. 田耕名物凧上げ竹馬大会
    1. 大凧上げ
    2. 大凧上げの流れ
    3. 竹馬大会
  2. 凧づくりと子ども会のクリスマス会
  3. 凧上げ竹馬大会の終焉
    1. いらんオマケ

前回の「自治会」に続きローカルなお話から導入なんですが、わたしの育った地域は、子ども会の活動も盛り上がっていました。

家族の次に小さなコミュニティ「自治会」が何よりも大きかった話

かつて豊北町には8つの小学校があり、わたしの通っていた小学校は8つの中でも児童数の少ない小学校だったのですが、年間を通して様々な行事があり、楽しい子ども時代を過ごせたよな…と思い返されます。

その中でも、年末年始になると、懐かしく思い出されるイベントがあります。

それは、神社の前の田んぼで手作りの凧を上げ、続いて境内で竹馬のリレーをするという、その名も「凧上げ竹馬大会」です。

田耕名物凧上げ竹馬大会

前半の「凧上げ」は、子どもたちが一斉に自作の凧を上げ、その上がった高さを競うもので、凧のバランス、凧上げの技術、場所取りなど、多くのファクターが絡んだ奥の深い競技です。
凧づくりや凧上げを手伝うお父さんのテクニックも大いに影響したりして…親子で不器用な私の凧はまともに上がった記憶がありません。

そして、このイベントで最も盛り上がるのが、子どもたちの凧上げに続いて行われる、自治会対抗の「大凧上げ」です。

大凧上げ

この「大凧」には、特に明確なレギュレーションもありませんが、まぁ言うなれば各自治会が「コレがウチの大凧!」とする凧を作ります。

わたしの自治会は毎年2.5m×1.5mぐらいの大きさの凧を作っていました。
ある年に作った骨組みが非常にバランスが良く、よく上がったので、以来ずっとその骨組みを使って、毎年紙の部分だけ張り替え、常に上位に喰い込む強豪になりました。

大凧を上手に上げるためには、これまた当日の天候、特に風向きと風の強さによって大凧のセッティングを調整する必要があり、ここでも自治会のオィサンらの経験や応用力が活かされます。

大凧の反り具合や、糸を結びつける位置、その糸を集合させて凧糸に繋ぐ位置、シッポの長さ… 凧上げ大会の直前に自治会で試運転を行なって調整し、神社に到着したらさらにそこから微調整を行う… たかが地区の子ども会主催のイベントといえども、子ども以上に真剣勝負。「仕事じゃないんだから真面目にやれ!」と本当に言い出しかねない緊張感があります。

境内に並んだ各自治会の大凧はそれぞれ個性が表れていて見応えがありますが、各自治会の真剣度によってその出来栄えには大きな差があります。昔の 鳥人間コンテスト や 欽ちゃんの仮装大賞 を彷彿とさせる感じでしょうか。

もちろん、わたしの自治会は大凧のデザインにもこだわって、毎年真剣に製作していますから、ひときわ目を引く仕上がりになっていることは間違いありません。

大凧上げの流れ

子どもの部の凧上げが終わったら、各自治会意気揚々とそれぞれの大凧を神輿のように担いで田に入り、スタートの合図が鳴ったら一斉に…

…とはいきません。

ウチのようなガチ中のガチチームは、他の自治会が大凧を上げようとする様子を見ています。簡単に上がる風なのか、ある程度上空まで上げないと風が吹いていないのか…など、観察しつつ作戦を立て、場合によってはこのタイミングで大凧の反り具合を調整したりします。

さらに風を見極め、少しでも良いコンディションを待ってから、満を持してタコ糸(と言っても太鼓みたいなコードリールに農業用の強い紐が巻かれたものですが)を数人の若手で一斉に引いて、大凧に近い者からリレー式に手を話して大凧を一気に上空に送ります。

コードリールに最も近いところには、凧上げ番長的なオィさんが構えていて、紐を引いたり出したりして大凧を操り、グングン高く上げていきます。

ちなみに、この凧上げ大会は、順位の審査基準がどれだけ「高く上がるか」なので、開始からしばらくすると審査員のおじいさんが境内から出てきて、上がっている大凧をチェックして回り、目測で「最も高く上がっている大凧」を審査するシステムになっています。

じゃあどんどん紐を出したらいくらでも大凧は高く上がるんじゃないの?

…と思うでしょ? ところが、大凧のセッティングや上げ方によっては、紐を送り出すことによって、水平方向にどんどん「遠ざかっていく」という場合があるんです。

そうすると、審査員のおじいさんは私たちの大凧を遠くに眺めて、

「ほォ〜、ここのはエラい遠くまで行っとるのォ…!」

と驚いてくれますが、それから頭を持ち上げて、

「ン、でも一番高ォ上がっちょるのはこっちじゃね、優勝ッ♪」

と、よその自治会に軍配を上げてしまいます。
さらにウチはウチで、何百メートルも向こうまで飛ばしてしまった大凧を回収するのは大変な作業で、まさに 骨折り損のくたびれ儲け となってしまいます。

ですから、大凧が遠ざかっていきやすいセッティングになってしまっている年は、敢えて近くの低角度のところでキープしておいて、審査が始まったと見たら紐をグイグイ引っ張って、審査の間だけでも力技で大凧をできるだけ高角度になるようにするというテクニックも駆使したりして、ここでも勝利にこだわっています。

竹馬大会

凧上げ大会が終わったら、今度は境内で竹馬大会です。
これは自治会ごとに子どもたちと保護者が合同のチームになり、神社の境内に設置された10mくらい先のカラーコーンを回って戻ってくるコースでリレーを行う競技です。

この竹馬大会の醍醐味は、日頃かけっこではあまり目立たないような子が、竹馬がやたらと上手だったりして、ブッちぎりの速さで逆転!みたいな大活躍をしてヒーローになれるチャンスがあるところです。

反対に、保護者がヨチヨチ歩きで大ブレーキ!みたいな番狂わせがあったりして非常に盛り上がります。

ただ、最近は小学校や家庭で竹馬をして遊ぶことが少なくなり、竹馬に乗れない子どもが増えたことや、地域の子どもも少なくなった影響から、太めの竹を輪切りにし、手で持つための紐をつけた「カッポン」と呼ばれるものを使ってレースをするようになりました。缶詰めの空き缶を使って、同じような「缶ぽっくり」という遊びをしたことのある方もおられるのではないでしょうか。

これに伴い、行事名も「凧上げカッポン大会」というタイトルになり、大会の時に掲げられる横断幕も「竹馬」の2文字分のスペースに「カッポン」と無理やり4文字書いた布を貼り付けた、“いかにも”感ただよう仕上がりになって開催され続けていました。

凧づくりと子ども会のクリスマス会

ちなみに、凧上げに使う凧を作るのもひとつの子ども会(+自治会)のイベントとして成立していました。

凧上げ竹馬大会が新春のイベントなんで、年末に1日かけて自治会の集会所で凧を作るワケです。

午前中に子どもたちはそれぞれの凧、大人は大凧に絵を描いて、色を塗ります。
で、絵の具が乾くまでの間、みんなでお昼ごはんを食べて、大人は軽くビールなんか飲んで休憩して、午後からそれぞれの凧の骨組みに、絵を描いた障子紙を貼り付けて、凧を完成させる…という作業をします。

そうするとだいたい夕方ぐらいになるので、それから集会所を飾り付けて、夜は子ども会のクリスマス会、という流れになります。ちょうど時期的にもいつもクリスマス前後の週末に当たるので、絶好のタイミングなワケです。

クリスマス会には、大凧づくりをしていた自治会のオィサン方も招待され、子どもたちと一緒にビンゴなどのゲームをしたり、自治会の倉庫から卓球台を持ってきて卓球に興じたりして、大いに盛り上がります。

子どもたちは、短い冬休みの最初に、こうして近所の子どもや大人とワイワイ過ごすイベントが用意されていて、この後も各家庭で年末の大掃除や餅つきを手伝ったり、年始に親戚が集まってお年玉をもらったり、実に豊かな冬休みを満喫するのです。

そして、冬休みが明けて最初の週末がこの 凧上げ竹馬大会 っていう、ずーっとワクワクした冬を過ごせるワケです。

しかし残念ながら、コロナ前の2019年1月開催を最後にこのイベントは数十年の歴史に幕を下ろしました。

凧上げ竹馬大会の終焉

わたしよりだいぶ年上の人が子どもの頃から参加してたっていうくらいだから、40〜50年続いたイベントだったんじゃないかな…と想像します。大会の横断幕にも堂々と

「新春 田耕名物 たこ揚げ竹馬大会」

って書いてあったことからも、みんなが誇りを持って大切にしてきたイベントだったことが伺えます。

ただでさえ少子化で、子どもたちが集まってワイワイ楽しめる機会が激減してきている中で、最近の新型コロナウイルスの影響でこれまで以上にこういったイベントが開催されなくなっているというのは、「今だけ子どもたちがちょっと寂しい思いをする」ということだけではなくて、子どもたちが大きくなって振り返ることのできる温かい思い出が少なくなってしまうということです。

郷土愛のルーツがこういったイベントやコミュニティとの繋がりにあるわたしにとっては、これは非常に深刻な問題に感じられます。

少子化をすぐに喰い止められなくても、これまでと同じカタチでの開催はできなくても、少しでも子どもたちに「この地域に育って良かった」と感じてもらえる機会を増やせるような まちづくり をしたい。また、子どもの頃には気づかなくても、まちを出てからふと気づく地元の良さ、温かさを残していきたいと思います。

ちなみにわたしは、密かに後者の方、子どもの頃には気づかないけど成長してから分かることって大切だと思ってます。

子どもに全力で迎合しなくても、大人が「コレ素敵だと思う」「コレ楽しいと思う」ってことを自信を持って堂々とやってたら、意外と子どもたちってそういう姿を見て覚えてて、いずれそういう大人の全力とか努力とかが理解できるようになった時にはじめてガーン!と衝撃を受けて「オレもあぁありたい」「わたしもあんなふうにやってみたい」と思ってくれるモンじゃないかな…と思うのです。

いらんオマケ

今強烈に思い浮かんだ例として、子どもの頃は「お笑いウルトラクイズ」を観ていて、丸バツの2択クイズで「正解と思う方のバスに乗り込んでください!」と出題され、1台は普通の大型バス、もう1台はサビサビで窓ガラスも外されてて太いチェーンが掛けられているバスという状況で、真剣に悩みながらサビサビのバスに乗り込み、吊り上げられて海に浸けられたトリオ芸人が、溺れながら

「聞いてないよォ〜!」

と絶叫するシーンが全く理解できませんでしたが、今はその役割に対する責任感にむしろ泣けてくる、みたいなコト…

…ありませんか。そうですか。

せっかく最後に良ェコトを言ってみましたが、例えで台無しにしてしまうパターンでした!

とにかく、私たち地元に残った大人は、子どもたちに悲観する背中ではなく、全力で楽しむ顔を見せつけて、まちを盛り上げていきたいと思ってます!