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浜出祭2018!鰤切りの私目線で振り返ります。

あんなに楽しみにし、あんなに緊張して迎えた浜出祭が終わりました。
既に余韻も薄れてきていますが、1日を振り返ってみたいと思います。

今回は鰤切りの大役を仰せつかったので、行列には参加せず、いきなり土井ヶ浜の祭場集合です。
かつては鰤切り役も紋付袴姿で土井ヶ浜まで歩き、到着後、鰤切りのための裃に着替えていたそうです。それはそれで格好良いですが、もし今回最初から最後まで歩いていたら…12kgの鰤が上がっていただろうか…。昔の人は本当に凄いです。

私は息子と奥さんが行列に参加するので、集合までの間は奥さん方の親戚を浜出祭見物に案内していました。
その合間に撮影した写真や、後から入手した写真を使用して、私目線での浜出祭2018をお伝えします。

浜出祭に関する記事はこちらもご覧ください。
浜殿祭(浜出祭)  700年以上続く、元寇に由来するお祭り。山の神と海の神のデートではなかった!
2018年4月1日の浜殿祭に向けて、鰤切りの練習が始まりました。保存版ってくらい解説します。

発輿祭(はつよさい)

ご神幸の前に、田耕神社でお祭りをします。

神事の様子

田耕神社の神職と、助勤神職で神事を行います。

集合した行列参加者

役割ごとに立て札が並び、行列参加者が集合しています。

浜出祭に合わせて設置された柵に馬が繋がれ、境内は圧巻の光景になっています。

神輿守

前回・前々回は私はこの集団の中にいました。
神輿守は、発輿祭の前にお神輿に神様を移す神事にも立ち会います。
神様を無事に土井ヶ浜までお届けしてやるぞ!っていう、最も気合の入る瞬間です。

花神子と将家

神社の建物に隣接した社務所で子供たちの化粧や着付けが行われました。
このお祭りの山の神様の化身「花神子(はなみこ)」と、馬に乗って行列に参加する「将家(しょうが)」の子供たちが並ぶと、報道陣を含む大勢の人がカメラを向けていました。

出発前のヒカル(役割:鉄砲)

“あの”ヒカルがこのお祭りのために帰ってきました。
彼がお世話になっている皆さんにも彼の勇士を見ていただきましょう。

彼は「鉄砲」という役割です。鉄砲の形をした木の模型を肩にかけ、それにぶら下げた陸上競技用の雷管のピストルを時々鳴らして蒙古の兵の霊を鎮めるという仕事があります。

ご神幸行列出発

ご神幸の行列がスタートします。
たくさんの役割がありますが、その中の一部を紹介します。

山伏

浜出祭の行列に欠かすことのできない役です。法螺貝を吹き鳴らし歩きます。
山伏に赤ちゃんを抱っこしてもらうと丈夫に育つという言い伝えがあり、道中は赤ちゃんを連れた家族から引っ張りだこです。
今回の山伏は私と同じ自治会で、幼い頃に面倒を見てもらっていた兄さん方が務めていました。私もいつかはやってみたい役です。

先払

「行列の先頭を歩き、沿道の観衆が道路にハミ出してきているのを、ご神幸の妨げにならないよう追い払うのが仕事」なので「先払(さきばらい)」だそうです。かつてはそのくらい見物客で混雑していたのでしょう。

大鉾

行列の中に1人だけの役割です。何か意味のあるものなのでしょうけど、詳しくは分かりません。大きな鉾に「田耕神社」のペナント的な物がついていますので、行列の前列でプラカード的な役割と、やはり武器ですから、蒙古兵の霊に対する鎮魂の意味も込められているのではないかと推察します。

幟持

浮世絵から飛び出してきたような“いかにも”な雰囲気の衣装の幟持(のぼりもち)は行列の目印です。

杖持

杖持(つえもち)も、先ほどの「先払」のように、観衆を整理する役割があるのでしょうか。
古式ゆかしい行事で奏者のやりとりをする際に先導したりしています。

槍持

言うなれば鎌倉時代の“軍事パレード”のような行列ですから、武器を持つ役割も多くいます。
これは槍持(やりもち)です。

大笠

誰のためという設定なのでしょうか。大きな傘を持っています。

花神子の乗る白馬

行列に馬が何頭も加わりますが、その中で最も前にいるのが花神子の乗る馬です。
花神子の馬は白い馬と決まっているそうです。

写真は境内の階段を下りたところですが、この時すでにこの馬は小走りになっています。この直後にロデオのように前脚、後脚と跳ね、花神子を振り落としました。花神子の母親が落馬した花神子を受け止め、花神子は奇跡的に無事でしたが、馬の興奮が冷めず、この後しばらく花神子は馬から降りて歩くことになりました。

旧・田耕小学校の桜の前を通過する行列

田耕神社を出発して 1km くらいでしょうか。行列は地区の小学校前を通過します。
前回の浜出祭以降に閉校となり、児童は通っていませんが、校庭や周りに植えられた桜が咲き誇り、行列を見送っていました。

大宰領・先払

灰色の袴を穿いているのが大宰領(おおざいりょう)で、この行列の責任者です。先頭を歩いています。
副宰領が最後尾を歩きます。

法螺貝を吹く山伏

遠くから法螺貝の音が聴こえると、観衆は色めき立っていました。
低い音と高い音を吹き分けて雰囲気を盛り上げていました。

飾弓

出発時に写真に撮れていなかった役割もチョイチョイ出てきます。
これはカラフルに彩られた「飾弓(かざりゆみ)」です。

賽銭箱はヒカルの親父さん

柄のついた賽銭箱をジャラジャラ鳴らし、行列の間を縫って観衆からの賽銭を受ける賽銭箱を務めるのはヒカルの親父さんです。前々回は花神子の父親として馬の口を取り、山伏を務めたこともありますが、賽銭箱は行列の順番にとらわれず縦横無尽に動けて楽しい!とエンジョイしまくっていました。

片箱・太刀将家

片箱(かたばこ)も、雨の日の橋を描いた浮世絵から飛び出したような出で立ちです。
後ろを歩く子供たちは「太刀将家(たちしょうが)」です。小学校高学年くらいが務めます。

御幣持

手に御幣を持った、文字どおり「御幣持(ごへいもち)」です。
花神子に次ぐ、子供の大役です。

神輿守

8名で担ぐ神輿は浜出祭用に準備されており、毎年秋のお祭りで使用するものより軽い造りです。
それでもやはり神輿は神輿、肩にズッシリのしかかります。私が担いだ時は白装束の下に着ている肌着の肩の部分に折り畳んだタオルを縫い付けていたものです。

「チョーサーヨー!」の掛け声をかけて威勢良く担ぎます。「神輿の下をくぐると縁起が良い」とされるため、観衆からリクエストがあればできるだけ神輿を持ち上げてくぐらせてあげます。

神職

神職も白い馬に乗り、神輿の後ろを進みます。
初めて神輿守をした時には、沿道の方から差し入れられたビールを神輿に積もうとしてお叱りを受けたものです。
ヤンチャな神輿守を見張るためにこのポジション…というワケではないと思いますが…。

国道を練り歩く行列

行列の後ろに自動車でついたら追い越せません。迂回路を案内されます。これは今回初めてのことでした。
交通安全指導員の皆さんもしっかり安全確保に配慮してくださっています。

自宅の付近までやってきました。これでも国道です。
雰囲気が出ないので写真には収めていませんが、広報車とパトカーが先導しています。

約3kmを歩いたヒカル

田耕神社を出発してからこの辺りまでで約3km。
ヒカルはまだまだ元気です。

この辺りから先は「音無」というエリアになります。
「音無観音」という女の観音様が祀られており、賑やかに進むと行列に気づかれ、デートに向かう田耕の女神様にヤキモチを妬いて怒ってしまうと言われ、この区間は観音様の名前のとおり「おとなし」く通り過ぎなければなりません。ヒカルも雷管を鳴らしてはいけませんし、神輿守も掛け声を止めます。
こういう風習っていうのが、700年を超える歴史の中で、最初は誰かのジョークから始まったかもしれませんが、それでもずっと言い伝えられ残っているっていうのが、このお祭りの魅力だと思います。

神輿守の身長のバランスが悪く傾いた神輿

浜出祭あるあるなんですが、神輿守を各自治会にから選出して出しますが、当然神輿守の身長がマチマチなので、配置によっては肩の高さのバランスが悪く、こんなに傾いてしまいます。
こうなると、かなりの重量を受けている人や、全く重みを感じていない人が混在し、「オィオィィ!神輿守にゃ身長制限設けんかィィ…!!」と悲鳴をあげる人が出てきます。

自治会などの接待

田耕から滝部までの各地で、このように自治会や家庭で接待所を設け、行列参加者に飲み物や食べ物を差し入れるところがあります。

沿道からお神酒やビールを差し入れられ、飲みながら歩くのが楽しくて仕方ありません。
特に神輿守や山伏は酒を勧められる機会が多いように思います。
スタートから数kmで真っ赤な顔になる参加者も見受けられます。

商店街で商売繁盛祈願のお祭り

神様をお神輿に乗せて練り歩いていますから、田耕地区のお隣 滝部地区の商店街で商売繁盛を祈願した神事を行います。

行列が商店街にやってきました。
細い中通りで、沿道には観客が集まっているのでなかなかの密集度です。
車も通らないので近くから行列を見物できます。

商店街でヒカルゲッツ

ヒカルもやってきました。かなりエンジョイしている模様です。
ここまでは出発から5〜6kmでしょうか。朝よりもテンションが上がっています。

太鼓持

神事で使用する太鼓も持ち運びます。
移動中は前後2人で棹を担ぎ、両脇の人が時々ド〜ン ド〜ンと叩きます。
後ろの人は神事の時に設置するための台を運んでいます。

御幣持の少年が観客に知り合いを見つけて手を振っています。微笑ましい光景です。

堀切で山側・海側行列出合いの行事

山と海の境目にあたる峠で、出迎えに来た海側の行列と合流します。
古式にのっとり、互いに奏者を介してやりとりをします。

山側行列の奏者が海側行列の陣にやって来て、口上を述べています。
コレを受けた側が「奏者ァ〜、大義ィ、大義ィ…!!
と応えるセリフを何度も聞きます。

すごい人だかりで、正面からは撮影できませんでした。
山側の陣内に戻っていく奏者です。杖持の人が警備していますね。

25mくらいの距離を隔てて対面して座りながら、やりとりは奏者を遣わせるんです。
実に古式ゆかしい。

地声でも聞こえよォがァ!

って言うのは野暮です。

直子(のうし)の行列に同級生発見

中学校の同級生が奏者を務めていました。

直子という地区から出迎えに来てくれる行列の奏者です。俳優のようなイケメン。
「龍馬みたいだな!」
って褒めときました。
維新の風に想いを馳せていたら後ろからギュィーンってドローンが飛んで来ました

この出合の行事は浜出祭の大きなイベントのひとつですので、マスコミも取材していました。

行列参加者は昼食休憩。弁当を頬張るヒカル

出合の行事の裏で、行列参加者は昼食休憩です。
自治会ごとにお弁当を配り、しばし脚を休めます。
ヒカルも弁当を頬張ってビールで流し込みながら、「進めば進むほど元気が出てくるよ…!」と名言を飛ばしていました。出発してずっと飲んでるからでしょ!

土井ヶ浜の祭場を目指して出発

皆がお昼休憩しているところに「行って来ます!」と挨拶し、私は車で土井ヶ浜の祭場に向かいます。
休憩の後、合流した行列は隊列を整え、土井ヶ浜へ出発します。

合流後の行列の様子は、文末に紹介している Youtube 動画 の冒頭でご覧いただけます。

白装束を着て花神子の馬を引く謎の人物発見

…本当は謎ではなく、今回の浜出祭のヒーローです。彼は別の機会に紹介したいと思います。

鰤切り役のワイ、スタンバイ

土井ヶ浜の集会所に着くと、まず着付けです。
すでに到着していた他の鰤切り役がすでに着替えて鰤をチェックしているのを見て焦り、緊張してきます。

着付け完了

着付けも実はすんなりいかず、まず脇包丁の真吾が、その体格ゆえに 本来は腰に1.5周巻いて後ろで縛るべき袴の紐が1周しか回らず、着付けのオバちゃんがテンヤワンヤになりました。

続いて私は真吾とは逆で、この日のために少々頑張って減量したのがアダとなり、袴を締めても締めても紐を腹で下に押さえつける事ができず、紐がヘソの辺りまで上がってきてしまいます。

紐を腰にグルグル巻きつける時にはオバちゃんに「ハイお腹引っ込めてー!」、結ぶ時には「ハイお腹出してー!」と指示され、なんとか着付けてもらいました。

KRYの取材も受けました

KRY山口放送 の取材を受けました。準備の段階から “密着取材” をしてくださっていて、スタッフの皆さんの浜出祭に対する思い入れを感じて嬉しくなります。

昔の人は、「浜殿祭の座について、本番で初めて見た大きな鰤を、涼しい顔して掲げて見せる」という “演出” に拘られていたと思います。
鰤切りの所作の中に「海側の人が準備した小さな包丁を、自前の立派なものにすり替える」という所作がありますが、その自前の包丁も「会場内を歩く時には袴の中に隠し持て。人に見られてはいけない」と指導を受けたほどですから、本来そこには 男の美学 があるべきです。

その心意気を私たちは重々承知しておかなければなりません。そして後継者に伝えていかなければなりません。

…が、ひとつの観光資源、ショーとしての側面も持つようになった現代の浜出祭では、こういった舞台裏も、浜出祭全体に興味を持っていただくために重要になっていると思います。
事実、鰤切りが始まる前のアナウンスでも、包丁をすり替える所作について、

「山神様は女神様ですから料理にはこだわりがあり、人の用意した包丁は用いず、慣れ親しんだ自らの道具で料理をしたいのでしょう」

という解釈を添えて紹介されていて、男の美学どころか、今のご時世、若干 男女共同参画社会に反した感じ も…

様々な要素のある浜出祭の中で、「鰤切り」を主役と捉え、またそれに初めて挑戦する2名にフォーカスしてくださった KRY山口放送 様には本当に感謝しています。

この場を借りて、松永さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました!お世話になりました!!

前田 下関市長と記念撮影

会場には前田 下関市長も来られており、記念撮影をお願いしました。
前田市長は広い下関市の北端豊北地区にも目を向けてくださっています。

市長はこの後のご挨拶でも、このような伝統の祭り・行事をしっかりと残していくことこそが、地域の発展に重要であるとおっしゃっておられ、私たちはその現場で、この浜出祭を支えていく立場にあり、それがひいては下関市の発展も担うことになるのだと実感しました。

いよいよ鰤切神事!

座についてから、長いようで短かった神事・直会が過ぎ、いよいよ 魚据鰤切行事 が始まりました。

魚据え

私がついたのは 波原座 という座で、その名のとおり 波原 という自治会の人が取り仕切ります。
まず、相手が鰤を運んできますが、事前に鰤を置く向きなどを打ち合わせした際に、この最近にない、かなり大きな鰤なので相手の方も相当緊張されているようでした。まな板に乗せた鰤を運ぶ姿勢もかなりキツいのです。手のひらを上にした状態でまな板を胸の前に持って運んだうえに、フォークリフトのようにまな板を下ろして鰤切り役の前に据えなければならないのです。
ちなみに鰤のサイズは、この最近は近海で大きな鰤が獲れず8〜10kgであることが多かったのですが、今回は内臓を抜く前で12kgあったそうです。五島列島から取り寄せたと噂には聞いています。

そして、アッ…!!

鰤を運んでくる方が恐れていたハプニングが起こりました。
観客に切る前の鰤を披露した相手の方が、いよいよ私の前に鰤を据えようとしたところ、鰤+まな板の重さに耐えられず、鰤をまな板から落としてしまったのです。
一瞬の出来事に私も動揺してしまいましたが、周りからワッと声が上がり、一気にコミカルな雰囲気になったので、いい具合に緊張が解け、この状況の中で自分ができる限りの事をすれば良いんだ、と前向きな気持ちになりました。
なにしろ後で動画を観てみたら、鰤切りが始まってから私の顔からは血の気が引いて、怯えているような表情になっていました。これが鰤が転がって「アッ…!!」という表情をしてしまってからは、少しフッ切れたように見えます。我ながら感情が顔に出やすい性格なのだな…と呆れてしまいます。

脇包丁にまな板を確認してもらう

脇包丁役の真吾と、視線を切らずに礼を交わし、まな板の確認、位置の調整をしてもらいます。
私は鰤に触れることができませんので、準備された包丁や箸を取り上げやすいよう、まな板のフチの方へ少しずらしてもらいました。

箸を打ち、鰤を掲げる

鰤に箸を打っていたところ、神官座から「これ見たかァ〜ッ!」と声が上がり、歓声が起きました。
練習の時から、「他の座から先に“これ見たかァ〜ッ”って聞こえたらのォ、そりゃ〜ブチ焦るィや」と聞かされ、そんな時こそ自分のペースを崩さないこと と指導されていましたが、やはり焦ります。

はやる気持ちを必死で抑えつつ、持ち上げやすい位置を必死で考えつつ、箸を打ち込みます。
練習ではやったことのないサイズですから、感覚がいまいち分かりません。変な位置に打ち込むと、この後で箸を交差させることや、こっそりヒレをつまむことが困難になります。

幸い、これ以上ない良い位置に打ち込めていました。
グッと箸を絞って交差させ、左手で握りしめた感じがバッチリです。力を込めやすいし、鉄の箸が指に喰い込んでいないから痛くない。

 

実はこの後の記憶・感覚が残っていません。

 

「やっぱり12kg、重かった?」
とか、訊かれるんですよ。でも、覚えてないんです。

気がついたら、鰤を頭上に掲げていました。

別の角度でこんな感じ。
「これ見たかァ〜ッ!」って言うぞ!って思った記憶もないし、ウワッ重ッッって感覚もなかったような気がします。

しつこく今度は引きで。
真吾が心配そうに、母親のような眼差しで見つめています。

実はこの時、一瞬早く対面の岡林座の鰤が上がっていて、「これ見たかァ〜ッ」のタイミングもほぼ同時になっていました。それで、「アッ…タイミングが…カブっ…!?」って思った瞬間に我に返ったかのように左腕に耐えられない重量を感じました。

本来の所作では包丁の背でまな板を3度叩き、そのまま包丁をまな板の上で左右に1往復滑らせてから鰤を下ろすのですが、まな板を2度叩いたところで左腕が二の腕から崩れ落ちてしまいました。

とっさに鰤を反転させ、包丁を当てがってまな板に着地させることができましたが、正しい所作をやり遂げることができず悔しさと恥ずかしさが頭をグルグルと回っていました。一方で、不完全であったにしても、なんとか鰤を頭上に掲げることができたという安堵感も感じていました。

もうひとつの反省

落ち着いて箸を打ち直し、次の難関である頭を切り落とす所作もなんとか一発で骨の継ぎ目を断ち、うまくいきました。
真吾に鰤の口に紙を差し込んでもらいます。
再び箸を打ち直し、真吾の方を向いて、「三枚おろしだな」と呟きます。

いつも練習の時に、鰤を三枚におろす所作をスキップして、鰤の胴を3つにぶつ切りにしてしまっていたのです。今回は忘れずにできました。ただ、今回は鰤が大き過ぎたのか、内臓を抜く処置の方法が違ったのか、背骨の上側を切ったところで鰤の腹がベロリンッと開いてしまって、背骨の下側に当たる部分の身がなくなってしまいました。アリャ?困ったぞ…と思いましたが、落ち着いて形だけ、包丁を動かして、切る動作をしました。

次にいよいよ最後の ぶつ切りをします。
体を半身に構え、包丁を背びれの付け根辺りを通る線をイメージして当てがい、エイッと押し切ります…

…アッ…!! 骨のコマにモロいったかッ…!!!!

少し包丁をずらし、再度トライしますが、継ぎ目に当たりません。
ゴリゴリとノコギリのように切っては様になりません。

ここは潔く諦め、骨の上側をスッと切ったようにして包丁を引きました。

気を取り直して今度は3つにぶつ切りの…尻尾側…エイッ!

 

…また骨のコマ…ッ!?

 

練習では割と高確率で骨の継ぎ目を見つけれていたのに、まさか本番で2回連続ハズしてしまいました。
先ほどと同様にして、早めに見切って、堂々とした動作を心がけます。

鰤から箸を抜き、元に戻してなんとか一連の所作を終えました。

先ほどの魚据え役の方が来られて、切り終わった鰤を披露されました。
私は真っ直ぐ前を見据え、終わった…というか、終わってしまった…

悔しい…!!

という気持ちが湧いていました。
できることなら、全ての所作を納得のいく形でやり遂げたかった…。
まだまだ半人前だった…!

脇包丁であり幼馴染である真吾からの労い

鰤切りを終えた私の背中を、真吾がポンっと叩くところが KRYのカメラに収められていました。
この時、私の心を満たしていた悔しさが、スーッと土井ヶ浜の砂に流れ落ちていくように感じられました。

浜出祭・鰤切りを終えて

どうあれ私はやり遂げたのだ、と思え、清々しい気持ちになりました。
座についてからの肝を握られているような緊張感から、鰤切り神事が始まった瞬間のまさに心臓が飛び出しそうな緊張感へのビッグウェーブを乗り切った…良かった…という気持ちです。

後でKRYのインタビューを受け、そのことも話しました。

前々回の神輿守を務めたときには、「(神輿守を務めることは)田耕に生まれた男の勲章みたいなモンだ」とNHKのカメラに向かって調子コキました。

今回は、田耕の皆さんの期待を背負い、地元の平和を祈念し、少し失敗もした。目の前に奥さんと息子が座っていて、隣には幼馴染がいた。土井ヶ浜の祭場で、座に裃を着て正座をし、夕方の穏やかな風に吹かれて、なんとかやり切った…!! と目を閉じた時に込み上げてきた気持ちでした。

あぁ本当に田耕に生まれて良かったなぁ。

浜出祭に家族で関われて、鰤切りをさせてもらえて、本当に良かったなぁ。

ありがとうございました。

インタビューの様子

Costcoに初めて行ったという武士に突撃インタビュー

未来では 牛は 食べるものでござるか…!!

餅まきも終わって、着替えを入れたCostcoの保冷バッグを持ってインタビューに応じている様子を、通りがかった近所の方が撮ってくださってました。

そして、このインタビューを受けている間に、田耕の参加者を乗せたバスが出発してしまい、鰤切りのワイ、最後の最後に置いてけぼりを喰らうというオチ…!!

岡林座で鰤切りの脇包丁をされた方が偶然車で通りがかったので乗せてもらってなんとか無事に帰れました…!スマホも家族に預けていたので本当に危ないトコでした。

動画で振り返りたい方はコチラ↓

こちらは、毎回本格的に撮影されて、編集した動画をYoutubeにアップされている、地元の歯医者さんの作品です。時々観ては余韻に浸っています。

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