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北九州市の発砲事件。猟銃の所持者として気をつけたいこと

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  1. 「世界一銃器の規制が厳しい」と言われる日本でも起こる銃による事件・事故
  2. 猟銃による「事故」を起こさないために
  3. 猟銃による「事件」を起こさないために

「世界一銃器の規制が厳しい」と言われる日本でも起こる銃による事件・事故

2017年11月8日の早朝から、北九州市内のマンションの1室で、男が猟銃のようなもので犬を撃った後、部屋に立て籠もるという事件が起きました。

Yahoo!ニュース「男が発砲、立てこもり=マンション周辺避難ー北九州(時事通信)

その後、男性の死亡が確認されたようです。

Yahoo!ニュース「マンションで猟銃発砲=住人男性死亡、自殺か―福岡県警(時事通信)

猟銃を所持している者としては、残念でなりません。
文字にするとなんだか違和感がある気もしますが、私は、猟銃は人の命を奪うための道具ではないと思っています。

合法的に銃を所持している者が起こした事件として私が思い浮かべるのは2007年の「ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件(リンクはWikipediaに跳びます)」です。
この事件以降、銃刀法が見直され、猟銃等の所持許可や保管などがより厳しく規制されるようになったと聞きました。

「日本は銃器の規制が世界一厳しい国」と言われています。猟師の数も激減しており、猟銃等の所持者も減少していると思われますが、それでも毎年、銃器による事件や事故が後を絶ちません。

・「猟銃暴発か、79歳男性が死亡 花巻」(2017年10月3日 岩手日報)

・「荷台に置いた猟銃暴発、助手席の男性死亡…岩手」(2016年11月19日 毎日新聞)

これらは故意に起こした事件ではないですが、猟銃の管理を怠り、誤ったために起きてしまった事故です。

猟銃による「事故」を起こさないために

いつも思うことなのですが、猟銃なんて、脱砲さえしておけばただの鉄の筒なんです。
慣れや怠けで、弾を装填したままにしておくから事故が起きる。本当にそれだけのことだと思います。

弾を装填していなかったがために 移動中にイノシシに噛まれました、なんて事故があったでしょうか。

 

…ない…けど、イヤ、…微妙にそういう雰囲気の事故、ありました

 

私の所属する猟友会の会長は、巻き猟でシガキ(待ち・タツ)について、持ち場を移動するために軽トラに乗り込もうとしていたところをイノシシに襲われ、脚に噛み付かれて大ケガを負いました。噛まれた場所が少しズレていたら、動脈を損傷して大量の出血により死亡していたかもしれない、という状況だったと聞いています。
会長は持ち場を離れる際に、当然脱砲していましたから、突然のイノシシの襲撃に為す術もなく、噛み付かれてしまった、という状況に近かったと思います。

会長は現在すっかり回復されて、また元のように毎週仲間との巻狩りに参加しておられます。

会長が今お元気だから言えることかもしれませんが、例えば仮にあの時、猟銃に実弾が装填されていたら、突進してくるイノシシに対し、矢先の確認も不十分なまま慌てて発砲して、思いがけない事故が発生していたかもしれません。あるいは発砲する余裕もなくイノシシに襲われ、転倒した際に猟銃が暴発していたかもしれません。
そう考えると、今、会長が再び狩猟に参加できているのは、基本に忠実に、いつでも脱砲を心がけておられたからに違いないのではないかな…と思わずにはおれません。

とにかく、1にも2にも脱砲の確認が、暴発による事故を確実に防ぐ唯一の手段だと確信しています。

猟銃による「事件」を起こさないために

私が所持している猟銃、先に述べたように、人の命を奪うための道具ではないと考えます。
用途に着目すれば、どちらかというと「釣り竿」に近い道具だと思っています。
機能に着目すれば、「包丁」ですね。

獲物を捉えるために使用する、殺傷能力のある道具です。

だからこそ、正しい目的のために、正しく取り扱わなければなりません。

少し話がズレますが、私は韓国を旅行した時に、観光射撃場で、拳銃で実弾射撃をしたことがあります。M92Fと44マグナムだったと思います。その時に「アァ、コレって、人を撃つための道具だ…」と思い、恐怖を覚えました。用途も機能も「日本刀」ですね。

猟師になることを志してから猟銃の所持許可が下りるまで、相当な期間と手続きを要しました。
警察による身辺調査も厳重に行われ、少なくとも2度、私の身近な人たちが聞き込みを受けています。
どんなことを訊かれたのか教えてもらおうとすると口ごもられてしまうくらい、突っ込んだ質問があったようです。(警察に口止めされているのかもしれませんが…)

そこまでして猟銃を所持させても大丈夫な人物、と警察に認めてもらって、ようやく所持許可が下りている…ような人が今回のような事件を起こしている、ということになると、本当に善良な猟銃の所持者まで、嫌疑の目で見られます。

ただでさえ、「鉄砲持ってる = 危険な人」と思われがちなのに。

「そうじゃなくて「鉄砲持たせても大丈夫なくらい 安全な人」と警察が太鼓判押してくれてるから所持してるんですよ」というロジックが成り立たなくなっちゃいます。「それでもどうしても行き詰まったら自殺するために使うんじゃん、使えるモン持ってるんじゃん」っていう…。

これはもう、全ての銃の所持者が、絶対にこのような事件を再発させないという気持ちで銃と生活するしかありません。

私は猟銃を所持してから、車の運転を気をつけようという気持ちが強くなりました。
最近ニュースになった「危険運転」ではありませんが、マナーのあまり良くないドライバーにもイライラしないよう心掛けています。
車の運転だけでなく、世の中のいろいろなストレスに対して、平常心のバランスを保てるようにする「修行」にも似た習慣は、単純に「猟銃の所持許可を取り消されないようにするため」だけではなく、狩猟の成果や日々の生活の豊かさに結びつく気がしています。

故意でなくても、誤射による事件も残念ながら起きています。
「矢先の確認」「獲物は逃してもまた獲れる」という言葉をおまじないのように唱えて、脳と脊髄に染みつかせなければなりません。「ガサドン」なんてもってのほかです。

今回の北九州市の事件、亡くなられた方、ご遺族には非常に残念であり、また犬も可哀想でしたが、このような事故があるごとに、私たちも気持ちを改め、再確認し、ただただ再発防止につとめたいと思います。